水子供養しない方が良い?
水子供養しない方が良い?
水子供養でネット検索いたしますと”しない方が良い”という文字が出てまいります。
”水子供養で寺の世話になりたくない”でしたら、気持ちをお察しできる部分もございます。
”水子供養はしない方が良い”という意味が私には解りませんでした。
水子供養 しない方が良い?目次
寺での法要は
試しに、”しない方が良い”と解説しているページを拝見いたしましたが、「寺の金もうけ」や「祟らない」というような紹介がされていました。
一般的にお寺で勤められている水子供養は、お祓いをしている訳ではございません。
霊源院でも、水子供養のご予約をいただいた人には、一度は授かった命に向き合う追善法要を勤めさせていただいています。
お供養とは理屈?それとも気持ち?
私は、お供養を理屈で考えたことがありませんでした。
逝去された人をお供養したい、愛用してきた人形や針や筆をお供養してあげたい、漁業や畜産の関係者の方々がお供養をしてあげたいと思う気持ちは理屈ではないと思ってきました。
水子は死者として扱わないので供養しなくてもよいということ仰る人がおられるようです。
なぜ区別して考えなければならないのか全く理解できません。
職場の同僚のご親戚がお亡くなりになった時よりも、可愛がっていたワンちゃんが死んでしまった時の方が悲しいのは、いたって自然な気持ちです。
死を受け止める人の気持ちに優劣をつける理屈などありません。
どのような形でお別れをされたにせよ、命の大切さをしみじみと感じる機会をいただけたことに感謝する気持ちが供養へとつながります。
お供養は生活環境の中でおこなう
寺に対してアレルギーのある人に、寺でのお供養をおすすめしている訳ではございません。
別のブログでも書かせていただきましたが、ご自身の生活環境の中で、亡くなられた命を偲び追福を祈る時間を設けていただくことが私達ができる供養ではないかと思います。
例えば、お仏壇をお持ちでない人は寺にお越し下されば宗派に則った追善法要が勤められます。
地元の自治会が守るお地蔵さんに向かって合掌をされるのもお供養の方法です。
お仏壇の無い人であっても、ご自宅で数秒間だけ感謝の気持ちで合掌していただくこともお供養です。
周囲の人に優しい気持ちで接することは善事の一つですが、故人へ巡るとされていて追善供養につながります。
お供養は感謝の気持ちから
お供養の方法について、いくつか例をあげてみましたが、亡くなられた命に向き合い感謝の気持ちで追福を祈る気持ちがお供養の基本だと思っています。
霊源院では、水子供養の法要を終えた方々に、その後のお参りを一切強要しておりません。
にもかかわらず日中や夜間を問わず多くの人がお参りされています。
寺で水子供養の法要をしていただいたから、これで全てがリセットされたと考えておられません。
お墓参りに行かれるのと同様に、法要後も時々蓮華堂に奉納されたお地蔵さまのお参りにお越しくださっています。
また、各家のお地蔵さまの安置期間を過ぎた後も、蓮華堂の隣に建つ石のお地蔵さまにむかって熱心にお参りをされています。
水子さんのお供養は、何も特別なことではありません。
亡くなってしまった家族やご先祖さまのお供養と同様に考えていただくことは、ごく自然なことではないでしょうか。
水子供養をしない方が良いとか、水子供養をしなければいけないとか考えるのは、もうやめませんか。