水子供養とは? その歴史について紹介します
水子供養とは?
その歴史について紹介します!
水子とは、中絶や流産、死産によってなくなった赤ちゃんのことです。
そのような赤ちゃんの尊霊を供養することを水子供養といいます。
今回は、水子供養の歴史について詳しくお伝えしていきます。
ぜひ参考にしてくださいね。
水子供養とは?歴史について紹介します 目次
水子供養とは?
冒頭でもお伝えした通り、水子とは、中絶、流産、死産などのさまざまな事情により亡くなったお子様のことです。
そのようなお子様のご冥福を祈るための供養を、水子供養と呼んでいます。
現在、水子の葬儀は行わないのが一般的です。
しかし、一度は授かった命を何らかの形で供養してあげたいと思う人は多いです。
お地蔵様の話
水子供養といえば、お地蔵さまのお姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
地蔵菩薩さまは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)をめぐり、あの世とこの世の橋渡しをすると考えられてきました。
昔は「水子は親より先立つ親不孝によって地獄へ行く」と思い込んでいる人もおられた為、お地蔵さんに救済してもらい、良いところに橋渡しをしてもらうためと仰る方もおられました。
しかし私は、このような意見は嫌いです。
お地蔵さまは、道の辻々に立たれていることから子供達にも身近な存在で、老いも若きも、強い者も弱い者も分け隔てなく身っ守ってくださっています。
その名の通り、大地の蔵で万物を生み、育て、大地に還す手助けをしてくださる仏様です。
昔も、水子の葬儀は行いませんでしたので、寺には水子のことで相談に行けなかったという背景があったと思います。
子供達を含めて我々の手助けをしてくださる存在であったことや、身近にあって祈りを捧げやすい仏様であったこと等、お地蔵さまを心の支えにしていた人が多かったのではないかと想像しています。
水子供養の形
お寺で行われている水子供養には、定められた法式はありません。
お参りされる方々は、亡くなってしまった赤ちゃんの追福を祈っておられることから、お寺では追善供養をお勤めするのが一般的な様です。
お寺で供養をしていただいた後も、時々お寺をお参りされている人が多いことから、お墓参りのような感じで水子の供養を継続されているようです。
水子供養の歴史について
水子供養は、1970年前後に広まったと考えられています。
第二次大戦後の日本では、出生率を抑制するために、それまで犯罪として規制されていた中絶を合法化しました。
その結果、中絶件数は増加し、そのころの女性の中絶率は30パーセントから40パーセントでした。
中絶した罪の意識から、「水子の祟り」を唱える寺が現れました。
この時代は、ごく一部のお寺ではありますが、お祓いと錯覚してしまうような水子供養の発信していたようです。
それに対して、供養という形で安らぎを求める人が多かったようです。
水子の定義は、時間が経って変わりました。
もともとは流産した胎児に対する仏教の戒名である「水子(スイジ)」に由来しています。
今は、中絶された胎児も、流産や死産で亡くなった胎児のことも水子といいます。
そして水子供養の意味も変わっています。
現在では、失ってしまった命に対して、安らかに眠ってほしいと祈りをささげる意味で水子供養は行われています。
まとめ
今回は、水子供養とはどのようなものか、その歴史とともにお伝えしました。
赤ちゃんを中絶や流産、死産で亡くされた方の中には、供養はしてあげたいと思うが、どのように進めればよいのか分からないという人もおられるのではないかと思います。
ご自身が納得できる供養の方法に辿り着けそうにない方は、一度お寺にご相談ください。