お盆て何なのでしょうか?

2018.07.04

今年も間もなくお盆がやってきます

お寺にとって、仏教にとって重要な行事、一大イベントの8月です。

お盆と言えば、昔から「盆と正月が共に来た」という言葉があるように大忙し、嬉しいことが重なったという意味があります。

今はお盆と言えば長期休暇の代名詞になっていますが、ついこの間までのこの国では、お盆になりましたら故郷を離れた方々はお盆になると渋滞を物ともせずに重い荷物を持ち、お孫さんを連

れて故郷へ戻る民族大移動の季節でした。

そして、ご先祖をお家へお迎え致し、3日間お供養を致したものでした。

当院にて水子さんのお供養をしていただいております皆さんにとっても、御霊が蓮華堂(水子供養のお堂)へ帰ってこられ、共に向き合う大事な時期です。

さて、お盆て何なのでしょう?

お盆のいわれ。

昔のインド、お釈迦様の弟子の一人に目連尊者という神通力に優れた方がおられました。

尊者がお亡くなりになられたお母さんを神通力にて探されました。

先ずは当然に極楽浄土を探しましたがおられません、では、天上界かしらと。

が、そこにもおられません。

まさか地獄?

尊者のお母さんが餓鬼道へ堕ちて苦しんでおられるのです。

あれほどに優しいお母さんがなぜ?と

尊者は飢えに苦しむ母上へ急ぎ食べ物を届けました。

するとお母さんは尊者には目もくれづに食べ物に飛びつきました。

しかし、食べ物を口に入れようとすると燃えてしまい食べれません。

困った尊者はお釈迦様へ救いを求められました。

そこでお釈迦様は語られました。

世の中の全ての物は因縁によって成り立っている

お前の母はお前のみをかわいがり、立派な僧侶にしようと育てた。

そして、他の子供のことはかまわず、どうでも良いという考えだったのだと申され、それが人間深い愛欲、我欲なのだと申されました。

故に私やお前一人では母を助けることは出来ぬと、その救い方を御教示なされました。

それは「7月15日に3カ月の修行期間を終える僧たちの徳を讃え、出来る限りの飯食(おんじき)を施し、ご先祖、身近な故人、そして餓鬼道へ堕ち苦しんでいる者達に供養をしてもらいなさいという提言でした。

早速に尊者がその通りに僧たちを讃え、飯食を施しお供養をして頂くとお母さんは餓鬼道の苦しみを抜け出し、極楽の世界へ行かれたのだそうです。

餓鬼道の世界とは何かに囚われ、しがみつき迷い、悩むという自身の心の奥に潜む欲望を象徴する世界です。

いつの間にか自分だけはという我欲の世界に誰もが足を踏み入れているのかもしれません。

そこで、日本では旧暦の八月に各お寺でお施餓鬼という、先祖供養、そして僧侶によるお盆のお参りがされるようになりました。

最近でこそこの風習も形骸化しつつありますが、自分を振り返る、そして、大事な故人、赤ちゃんが積むことの出来ぬ功徳を代わってこの私が積みますという気持ちも含め復建しなければならぬ慣習かと思います。

どうか蓮華堂(水子供養のお堂)へお参りの皆さんもその意義を見つめ、お参り頂けましたら、より良きお供養が出来ますかと存じます。

檀信徒の皆さん、永代供養墓の皆さんも恒例の霊源院の施餓鬼が8月1日にて近づいて参りました。

多くの皆様が御参詣下さることを心待ち致しております。合掌