虫の音を聞きながら
虫の音を聞きながら
10月の声を聞いて、今月も早、真ん中を過ぎました。
私達禅宗の僧侶が忘れてはならない、先達の祖師の言葉が有ります。
光陰矢の如し、謹んで雑用心すること勿れ、看守せよ、看守せよ(こういんやのごとし、つつしんでぞうようじんすることなかれ、かんしゅせよ、かんしゅせよ)。
修行道場で座禅専一に致す修行期間「接心」の時、毎日唱えますお経の一部です。
日々の経つ早さは光の如く早く過ぎて行く、心得て油断を致してはならぬ、気を抜かず、気を抜かず、修行に取り組むべしとの励ましと注意喚起の言葉です。
十分に身に染みている言葉ですが、それでもうっかり致し、気が付けばもう既にとの想いから抜けることは中々に出来ません。
それでも、油断なくの想いにて日々を過ごしたく思います。
日の経つ早さはどなたも同じ思いではないでしょうか。
お互いに、一日、一日を大切に過して行きたいものです。
さて、その10月も厳しい残暑が何とか過ぎ、ようやく過ごしやすい季節の到来かと思っておりましたのに、この日に至っても「エアコン」無しでは厳しい京都の残暑です。
残暑という言葉を使うことにさえ抵抗がありますが。
そんな想定外の気候が続いてはいますが、さすがに朝、晩はやはり涼しくなり、秋の気配が色濃く感じる時間帯です。
日中の暑さにやれやれと胸をなでおろし、夕方の涼やかな頬に触る風を感じますと、少し嬉しい気持ちとなります。
夕方日が落ち、随分と暗くなった7時過ぎ、蓮華堂前の池の金魚が涼やかに泳いでいますのを何気に見ていますと、参道から此方へ水子供養のご縁のお顔なじみのお二人がお越しになられました。
ご丁寧な挨拶を頂き、暫し、立ち話を。
曰く、「夏の盛りでは無いのに、この暑さ、日の暮れのお参りに致しました」とのこと。
確かにこの時期に日の暮を待つのもと思いました。
只、おっしゃいますのに、日の暮れ、虫の音を聞きながらお参り出来ますのは何とも風流ですとのお話し。
確かに、町の真ん中で静かな境内で暑さを避け、虫の音を聞きながらお亡くなりの赤ちゃんへのお手合わせ、良しと思うことでした。
ご存知でしょうか
ご縁があって、最近「漢詩」を作る手ほどきの機会を得ています。
どんな習い事も先ずは自分の手で課題をこなし、ご指導の先生にそれを点検頂きますのが基本です。
漢詩も季節に応じ課題を頂き、それに沿って作詩を致し、見て頂きます。
今回の題は「小春日和の散策」です。
まだ若い息子に今回のお題は「小春日和の散策」と伝えますと。
お父さん今は秋だよ、そのテーマはまだ、先でしょうとの言葉。
この小春(こはる)という言葉は誤解なされている方が結構に多いようです。
よく聞く「小春日和」はこの時期10月、旧暦の11月の暖かい日を指して言う言葉ですので、息子が申しますようにまだ先の事ではないのです。
息子にそれを話し、ネットにて確認致すように伝えたことです。
もっとも小春どころではなく、残暑なのですが。
言葉に符号致した季節が穏やかに巡り来ますことを祈りたいと思います。合掌