溢れる優しさと深い想い

2024.09.24

溢れる優しさと深い想い

お寺の御本尊様、大事な故人が眠られるお墓、そして大切なお亡くなりの赤ちゃんがおられる霊源院の蓮華堂、絆縁堂、区別なく、先ずはお参りにお越しの皆さんの溢れる優しさと深い想いが常に見える所です。

水子供養へお越しの皆さんは蓮華堂、絆縁堂の御本尊へ先ずは丁寧なお手合わせ、そしてご自身方の水子さんを見守って下さる「自身」の地蔵尊の前に思い思いのお供えをなされます。

どうか、亡き赤ちゃんへお届け下さいとの想いと共に。

人は自身より先に黄泉へ旅立たれた故人へ想いを馳せます、そして故人を思いお越しながらお手合わせをなさり、故人が喜んで下さるお供えを想い描きながら供えられます。

ご本尊の前に、小さなタッパーウエアが有ります、中を覗きますと丁寧に皮が剥かれた「ナシ」がいくつか入っています。

生ものですので早い目に片付ける事にはなりますが、旬の果物を「私たちと一緒に食べようね」というお供えなされたお方の気持がストレートに伝わって参り、溢れる優しさを感じます。

お亡くなりの赤ちゃんのお供養に限らず、お供養の形態、或いは弔いの形態が現代では変化致して来ていると言われます。

しかし、私の大事な故人というお気持ちが失われぬ限りは、形態が変わろうとも、溢れる優しさに満ちた供養が廃れることは無いように確信致し安心致す所でした。

追善供養について

亡き赤ちゃんへの追善供養というように、私もよくこの言葉を使います。

さて、追善供養とは

お亡くなりの水子さんの冥福を祈って行う水子供養は法事ですが、お亡くなりの赤ちゃんの為に残っている私たちが亡き赤ちゃん、故人の為に「善い行い」を致し、その功徳を「精霊」に差し向けるという意味で追善供養とも言います。

追善は詳しくは「追福修善」といい亡き故人が「仏」となれるように残った者が功徳を積むことを言います。

又、供養というのは「供給資養」を略したもので、仏様と御霊にお供えをし、お坊さんに読経をして頂き布施をする、更には有縁無縁を問わず御霊の安らかを願い、慈悲の心を持ち、自身の気持もその行為を通じて清らかに養って行くという、お亡くなりの方だけへ向けた一方的な事ではないのです。

お亡くなりの赤ちゃんを想う時、元気でご縁が繋げた時の安らかな微笑を想う時、そこにお地蔵様の慈悲も又感じることが出来るのです。

追善供養とは亡き赤ちゃんと心を通わせ、更には仏様、地蔵尊とも心を通わせる「善い時」なのです。

蓮華堂、絆縁堂はそんな善き時をこれからも繋いでくれると思います。

能登の大雨被害の皆様にお見舞い申し上げます

お正月の辛い災害に追い打ちを掛ける大雨、お亡くなりのお方のご冥福を心からお祈り致しますと共に、酷い被害をお受けなされた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。

お慰めの言葉もありませんが、少しずつでもお元気になられますことを祈念申しあげます。合掌