嬉しい姿を拝見致しました

2024.09.03

嬉しい姿を拝見致しました

ご本尊様をお守りさせて頂いている私たちにとって嬉しいことの一つは、多くの皆さんが御本尊へ向かい、真摯にお手合わせ下さる姿を拝見いたすことです。

自身の想いを合掌に乗せて仏様へ向かう姿は美しいものです。

日本では戦後の右肩上がりの高度成長と共に家族の形態が家長を中心と致し、その家長が家の仏壇とお墓を大事に守り、家族がそれについて行くという有り様が近世までは続いていました。

その形態が崩れ、「核家族」という家族の形態に変わって随分と年月が経っています。

かつては、大家族の中におじいちゃん、おばあちゃん、そして、お父さん、お母さん、更にはお子さん方がおられ、お寺、お墓へお参りに行くのはお父さんとお母さんは家族の中心として忙しいので、先ずはおじいちゃん、おばあちゃんがという図式でした。

そして、お孫さんにあたる子供はその、おじいちゃんたちについてお参りに行くということが多かったのです。

その様な中で、共について行っている子供たちは、お寺へ行きお参りの作法を見様見真似にて自然に覚え、お参りの大切さも自然と身についておられたので、自身がお参りの中心になっても違和感なく関われておったように思います。

ところが、先に述べました「核家族」という有り様が定着致し、更には、「個人主義」という有り様に繋がって来ますと、若い世代の皆さんに致しますと「お寺」はお手合わせに行くところという気持ちは薄れ「拝観」という言葉に代表されるように観光に順ずるところとなってきているように思います。

勿論、拝観にお越し頂き各お寺の御本尊をお祀りの所へお越しの皆さんは間違いなくお手合わせは下さっているようには思います。

只、家族の菩提寺(先祖が眠るお墓をお守りなされているお寺)、お墓には少しお手合わせから遠ざかり、敷居も又少し高いのかもしれません。

霊源院の周りのお寺を見回しても、彼岸、お盆の時でこそ多くのお参りの方々がお越しですが、それ以外はあまりお寺へお参りの方々の姿を拝見致すことは無いように見受けます。

他方、有難く、嬉しいことに霊源院はお墓が多いこともその理由ですが、普段から多くの皆さんがお墓参りにお越し下さり、何より水子供養のご縁の皆さんがひっきりなしに蓮華堂、絆縁堂へお参り下さっています。

それでも、観音様をお祀り致しております本堂へは少し敷居が高く感じるのでしょうか、お堂に比べますとお参りのお方はまだまだ少ないとの想いでした。

常に私たちの近くにおられ私たちを見守り、助けて下さる観音様をお祀り致している霊源院の本堂、そのどなたにも慈悲の目を向けて下さる観音様をお祀り致す本堂ですので「普応殿」と名ずけられているのです。

そんな、本堂へのお参りが敷居が高くお参り出来ぬというのはいけません。

本堂前にロウソクを献灯致し、お線香をお供えできます様に設備を整えました。

少しずつお参りの皆さんがお越し下さり、最近は本堂へ水子供養、法事で参りますと本堂正面にてお手合わせのお方とお目に掛かる機会がとても増えました。

そんな中、今日も本堂へ参りますと若い男性が中門をくぐり本堂へお越しです。

「こんにちは」とお声掛け致しますと同じく大きな元気な声で挨拶を下さいました。

そして、ローソクを上げ、線香を立て、長い時間お手合わせなさりました。

その姿は美しく、お寺でしか拝見出来ぬ嬉しい姿でした。

世代を問わず多くの皆さんがお越し下さる「霊源院」、本当に嬉しいことです。合掌