他者へ向かう、親切と思いやり
他者へ向かう、親切と思いやり
私達禅宗の僧侶は皆さんに「和尚さん」とお呼び頂く為に、一定期間の間、修行道場にて暮らします。
この修行道場を「僧堂」と言いますが、そこでは若い修行僧が寝食を共に致しながら修行生活を送っています。
ここの暮らしを経て、お寺に戻り、初めて「和尚さん」と呼んで頂けるようになります。
道場で喧しく言われることの一つに、「陰徳」を積みなさいと繰り返し指導を頂きます。
陰徳(いんとく)とは他者の為に善行を目立たぬように密かに行うことを言います。
私はあなたの為にこんな良いことをしていますよとアピールをするのではなく、陰に周り他の修行僧がより修行しやすく、良き修行が積み上げられるようにと行うのです。
それはトイレの掃除であったり、精進の食事ではありますが、皆が美味しく食べて、元気が出せるように手元にある食材で丁寧に食事を用意致したりです。
そして、その陰徳の積み上げが又、自分へ巡りくる功徳となるのです。
過日、水子さんのお参りにお越しのお方が、蓮華堂の入り口の前にしゃがみ込、一生懸命に落ちた葉を拾い集めておられました。
お参りの皆さんが気持ちよく、お亡くなりの赤ちゃんへお手合わせが出来ますようにとの想いからと拝察いたしました。
正しく他者へ向かう親切と思いやり、陰徳です。
嬉しいことに此方のお方様に限らず、皆さんがあれば良いと思う物をお堂へ寄付頂いたり、お堂の中の掃除を簡単に致して下さる方など嬉しい限りです。
多くの陰徳に支えられて、蓮華堂、絆縁堂は清浄な環境、温かいお堂の空気が満ち溢れています。
お亡くなりの赤ちゃん方もお喜び下さってるのではないでしょうか。
車から見ました光景
先日、檀家さんへのお参りで大阪へ車で参りました。
国道を走っていて信号機で停車致しておりました、右手にマスクの高齢のお方がごみ取のハサミと袋をお持ちです。
横断歩道の真ん中まで歩まれ、そこに落ちているゴミをハサミで拾い、ひょいっと袋に入れました。
京都でも度々、お見掛け致します。
道へ無造作にゴミを捨てる人がおれば、そのゴミをだまって拾うお方がおられます。
ゴミを拾わぬまでも、自分のゴミは持ち帰り処分したいものです。
陰徳に繫がる道のゴミ拾い、それが出来ぬまでもゴミを捨てる側に絶対なってはならぬと思いを深めました。
水子供養へお越しの皆さんも頭の隅に間違っても捨てる側にはならぬよう心に留め置いて頂きたく願います。
京都はいよいよ、祇園祭です。
蒸し暑さが増し、梅雨明けへと向かい本格的な暑さがやって来ます。
今年の夏も何とか乗り切れるよう心して日々を暮さねばと思っています。
皆様も十分に体調管理に留意なされ、日々を過ごされますよう祈念致します。合掌