微笑の繋がり

2024.07.11

微笑の繋がり  

霊源院の水子供養のお堂、蓮華堂、絆縁堂へは日々多くの皆さんがお参り下さり、そのお参りの皆さんの想いがお堂を生き生きと輝かせています。

お寺にとって何よりの喜びはお参りの皆さんがご自身の心の発露からお香を手向けに来て下さることです。

先ずはご自身方の発心があってのお手合わせでなければなりません。

お亡くなりの赤ちゃんへ手合わせをせねば、禍がなどと思いお参りはいけません。

無垢なお亡くなりの赤ちゃんが禍など致すはずはありません。

時折、お供養は致しませんが禍が巡り来ると辛いので、お堂にて手合わせだけをと平気でおっしゃる方がおられますが、残念なことです。

お亡くなりの赤ちゃんへこれ程の失礼はありません。

さて、水子供養のご縁を頂くようになり、既に30年を超えました、お供養を望まれておられるお方の多さに対応出来ます様に試行錯誤、様々な工夫を致しお参りの皆さんが此処へお参りに来れて嬉しいとの想いを抱いて頂けるように工夫を積み上げて参りました。

その想いにお応え頂けるように、「継続供養」にお越しの方が増え、更にはその年限の積み重ねも驚くほどにお越し下さるようになりました。

蓮華堂「釘掛け供養」はご自身の地蔵尊をお堂へ1年間奉安致し、その間皆様に自由にお参り頂いています。

1年経ちましたら、又、お寺へお越し頂き、亡き赤ちゃんへの法要を致し、再度蓮華堂へ地蔵尊をお祀り致します。

それを「継続供養」と申し上げております。

勿論1年で終わりますことは問題ありません、ご自身の心の「収まり」が付かれましたらそれはそれで良いのです。

お焚き上げの地蔵尊の灰の一部を、お堂右外の子安地蔵尊の下へ埋めますので、お堂に地蔵尊が無くても是非、お参り下さい。

過日に継続供養へお越し頂きましたお二人、「今年も宜しくお願い致します」とご丁寧な挨拶を先ずは頂きました。

「今年で13回目の継続です」とおっしゃられました時、もう13年ですかと私がニコっと微笑みますとお二人も言葉を無しに「ニコッ」となされました。

お供養の心が伝わる瞬間でした。

拈華微笑

拈華微笑「ねんげみしょう」という禅の言葉が有ります。

仏教を開かれたお釈迦さんとその弟子の悟りに関わる言葉です。

花を手でつまんで微笑む。

それだけで、ことばを発しなくても伝わることがあります。

私達は言葉は万能でどんな人とでも話せばわかると思い込んでしまうことがあります。言葉で伝えることは勿論大切ですが、伝えたい大切なことをいくら言葉を積み上げても伝わらないことがありますね。

伝わらないと嘆く前に「微笑」を実行致して見て下さい。

意外と簡単にこの私の想いが伝わります。

中々、自分の想いが相手に伝わらず、辛い想いの時、顔をいがめるのではなく「ニコッ」として見て下さい。

今日このブログをしたためている時間も、汗が噴き出る暑さです、暑さもこれからが本番です、どなた様も熱中症には十分の注意を致し、日々をお過ごし下さい。合掌