慈愛に満ちた、お手合わせ
慈愛に満ちた、お手合わせ
仏様はどの仏様も慈愛に満ちています、その中でも身近に慈愛の深さを感じさせて下さる仏様は「観音様」が代表ではないでしょうか。
霊源院は臨済宗という禅を根本に据えた教えを標榜致しています。日本では仏教は多くの宗派に分かれ、今日までどこの宗派のお坊さんも一生懸命にお寺守りをなされています。
そして、檀家さんでの法事、法要、更にはご葬儀で読寿致すお経も決まっています。
臨済宗では先ずは般若心経を御本尊へお勤め致し、次に「観音経」というお経をお勤め致し、その日の法要の故人へ回向を向けます。
この観音経というお経は(観音様)が33身にその身を変じて、お困りのお方様、お辛い日々を過ごされておられる方の近くへお越しになり、お救い下さるということを語っているお経です。
そのお救いが直接に見えて、感じることが出来るかは個々人の受け止めだと思います。
そんななことは無いでしょうとの想いで見回せば、見えません。
更には、その救いを感じ取れるかどうかも個々人によります。
思い出して見て下さい、良きことばかりの人生をお過ごしのお方はそうは多くおられないのではないでしょうか。
寧ろ、嫌な想い、辛い環境にて二本の足で踏ん張り、日々を積み上げておられる方の方が多いかもしれません。
その辛く、厳しい中でも思いもよらぬ親切、援助を頂き、「あれ」と思うことは無かったでしょうか。
又、親しいお方、お友達から普段の応援を超える、「言葉、励まし」を受けたことがあるのではないでしょうか。
その応援を受けた、あまり親しくないお方、常日頃から密なお付き合いをなされているお方の別なく、その方は私たちと同じ「人」です。
お寺へ行って礼拝致しました時に目に飛び込んできます所謂「仏像」ではありません。
お寺へお参りに行かれた時に御本尊様へ向かい致す「合掌、礼拝」、そして日々に積み上げられる「縁」が横糸となり繋がり、辛い時の助けが現出致すのではないでしょうか。
目の前に居られるお方は自身が良く存じ上げている方なのですが、それは紛れもなく身を変じて困っているこの私の前に現れて下さった「観音」様なのだと思えないでしょうか。
お母さんでもあり、観音様が身を変じた姿でもあり
過日、小さなお子さんをお二人お連れになり、絆縁堂へお亡くなりの赤ちゃんのお参りにお越しになられていました。
今日はとご挨拶を致し、お寺に戻る途中でお堂へ振り返りました。
お子さんと3人、一列に並ばれ、微動だにせず、深々と合掌礼拝なされています。
お亡くなりの赤ちゃん、水子さんにとって良き世界へ転生を取り持って下さる、水子さんにとっては「観音様」でらっしゃると思う所でした。そして元気なお二人のお子さんにとってもお母さんであり、観音様なのです。
少し、ふわっと致したお話になってしまったかもしれません、しかし、観音様は姿を変えて私たちの近くに居られると想えましたら、自身を囲む多くの皆さんとより良き縁が繋げ、自身が他者の困窮時になさねばならぬことも見えるのではないでしょうか。
何回も申し上げておりますが、霊源院の御本尊様は「千手観音様」です。
蓮華堂、絆縁堂のお参りが済んだ後、又、行く前に忘れずにお参り頂きたく願います。合掌