どしゃぶりの雨でも、供養への深い想い
どしゃぶりの雨でも、供養への深い想い
昨日の深夜から京都は大雨が続いています、今年は継続的に雨が多く、昨年とは対照的です。
雨は無ければ勿論に困りますが、能登の地震から日が浅く、崖崩れなどの二次的な被害が発生致さぬことを願うばかりです。
そして、本日も朝から継続的にきつい雨が降り続けています。
今日も何軒か水子供養のご縁を頂いています、どしゃぶりですので供養に限らず、出かける際にはどなたも二の足を踏むことかと想像致します。
最初にお越しの約束の時間、引き続きどしゃぶりですので、お越し下さるか少し心配を致しておりました、電話もありませんでしたのでお待ち致しておりました。
お約束の時間になりますと、ピッタリと玄関のインターホンが鳴りました。
お声かけ致し、玄関へ参りますとご夫婦でお顔なじみの継続供養のお方がお越し下さいました。
毎年にお会い出来ますご夫婦です、気軽にお話し掛け頂きながら、本堂へ参ります。
腰掛に着座なさいますと姿勢を正し、一心にご本尊とご自身方の地蔵尊へ向き、お手合わせをいたしておられます。
大事な赤ちゃんを亡くされて長い年月が経ちますが、その水子さんへの深い追慕の想いは少しも変わっておられません。
どれ程の「どしゃぶりの雨」もものともしない、深い想いに支えられた供養の心です。
又、来年も元気でお目に掛かる約束を致しお別れを致しました。
お亡くなりの赤ちゃんと繋ぐ「お供養」ですが、それと共に、この世にいる私たちの縁を繋なげて下さる功徳も又、頂くこととなりました。
看脚下
二組目に水子供養へお越し頂いた、若いお二人、此方も丁寧な御挨拶を頂き、無事に本堂でのお供養を終わりました。
蓮華堂へ行きます為に、玄関へ戻り「履物を履いて下さるようにお伝え致し」、ふとお二人の靴は何処かと見ますと、下駄箱にきちんと向きも揃え、お揃いの白い靴があります。
靴は揃えて脱いで当たり前なのですが、近年はそれがままならぬ景色として見る機会が少なくありません。
感心いたしますと共に、お寺でその景色を見ることの喜びは更にです。
禅の言葉の「看脚下」(かんきゃっか)、文字通りに足元を見よです。
お寺の玄関などによく掲げてある言葉です。
履物を脱いだらそろえて置くようにという意味ですが、これは自分自身への反省を促す言葉でもあります。
私が進むべき道の中で自分が今どの所にいるのか、今の自己の有り様に間違いはないのか、そしてその自己の有り様は正しいのか、自己を省みる時に道しるべとなる言葉です。
今の自己で良いのかと悩んだ時など、一度立ち止まって、自分の「足元」を見つめ直してみるのも良いのではないでしょうか。合掌