喉元過ぎて終わる供養ではなく

2024.05.20

喉元過ぎて終わる供養ではなく

古くから言い継がれている言葉、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、この言葉がありましても私たちは兎角に大切なことを忘れてしまうことがあるように思います。

自分に思う事でも、多くの大切なことをその重大な場面を過ぎますと忘れ、或時に「忘れてしまっていたと」脂汗をかく時が有ります。

水子供養へお越しの皆さんに申し上げていますこと、永代供養の地蔵尊は長い期間奉納致しておりますので、蓮華堂、絆縁堂へ皆さんよくお参りに通われています。

他方、釘掛け供養は奉安期間が一年のスパンですので、一度で終わりになさる方、毎年同じ地蔵尊で継続なされる方、様々です。

蓮華堂での回向が終わり、奉安期間、お参りが可能な時間の説明を終えました後に、付け加えて説明させて頂いていることがあります。

「釘掛け供養の地蔵尊は一年お祀り致しますので、朝7時から夜9時迄自由にお参り下さい、一年後は継続供養をなさらぬ場合はお焚き上げの後、地蔵尊の焚き上げた灰の一部をお堂右外の(子安地蔵尊)下へ埋葬致しますので、心にお亡くなりの赤ちゃんが浮かんできましたら、そこの地蔵尊、お堂内の御本尊へ是非、お参り下さい」とお伝え致しています。

比較的に多いお問合せに、継続供養は何時迄致さねばならぬのですかとのお尋ねを頂きます。

それに対しては「何時迄せねばならぬということはありません、ご自身に問い掛け心の平安を取り戻し、前へ向かって歩を進められるお気持ちになられたら、それは水子さんもその気持を受け止めて下さいます」と伝えています、只、それに付け加え「赤ちゃんのことを愛おしく追慕致す想いが出ましたら、迷わずに子安地蔵尊、蓮華堂内の本尊様へお手合わせ頂き、亡き赤ちゃんへお声掛けに来て下さい」とお伝え致しています。

大切な赤ちゃんを失われるということは流産、中絶の別なく、特に女性にとっては本当に辛く悲しい出来事です。

それでも忘れる動物の人間の性でしょうか、やはり少しずつその辛さ、悲しみを忘れて行きます。

そのことを非難致すつもりは毛頭ありません、しかし、心の何処かにその亡くした大事な赤ちゃんの想いを止め、その機会がありましたら「会いにきたよ」との気持ちでお手合わせをいたすことは大切です。

可愛らしい鳥の行水

新しく出来ました「野鳥の庭」、小鳥用の餌を置いていますのでだんだんと滝の下の池に寄ってくる野鳥が増えてきました。

池にスズメを始めとした小鳥が来て水浴びを致しています。

人の気配を感じますと、すっと立ち去りますが間が良ければその可愛らしい仕草に出会えます。

これから緑陰の季節、暑い日々の中に滝の涼やかな水音を楽しめる季節がやって来ます。

お楽しみ下さい。

池にはカラスも来ていますので、近いうちに「カラスの行水」に出会うかもしれません。

暑い夏が直ぐそこです、体調に留意致し日々を過ごして行きたいですね。合掌