春先のような陽気で思い起こした言葉。
春先のような陽気で思い起こした言葉。
ここ数日は日差しが春のように明るく、温度も随分と高くなりました。
立春が過ぎたとはいえ、如何にしても少し早すぎる春の気配です。
それでも、暖かい陽気に包まれますとほっと致し、本格的な春の訪れが待ち遠しい気持ちは抑えられません。
そして、能登の皆さんのことを思いますと、暖かい春がよりを早く訪れ、辛い日々が少しでも軽減されることを思わずにはおれません。
先日、水子供養へ他府県からお越しの少し年配の女性、お花がとても好きなのかと思いましたが、お供養の為に本堂へ向かい、廊下に立ちますと「あら、ロウバイの花がもう咲いていますね」とおっしゃいました。
数日前から黄色の可愛い花がほころんでおりました。
春を告げる先駆けの花です。
にこやかな微笑と共に花を愛でる女性と暖かい春が重なることでした。
さて、そんな春の気配が続く中で、ある言葉を思い起こしました。
「一樹春風有両般、南枝向暖北枝寒」(いちじゅのしゅんぷうりょうはんあり、なんしはだんにむかい、ほくしはかん)。
少し長いですが「禅語」です。
意味は「一本の樹に春風が吹いたのに、南の枝は温かく感じるが、北の枝には届かないということから、人生、日々の暮らしには予想外のことが起きるとのことを指し示しています。
今年はお正月元旦に想像も出来ないような、酷い地震が能登を襲いました。
どなたもお目出たい、希望に満ちた元旦だったはずと思いますが、能登の地の皆さんには他の地域の皆さんと違う「辛い風が吹いたのです」。
同様に春がそこに近づき、暖かい日が来ていますのに被害をお受けになられた皆さんの心には冷たく、失望の冷たい風が吹いているのではないでしょうか。
辛い想いの被災者の皆さんへの応援の気持を忘れぬことと共に、日々の暮らしの中、隣人、お友達を含め、同じところに住み、同じ風を受けているように思いますが、皆、様々にその風の受け方が違うことがあるのだという気持ちを忘れずに、思いやりの心と共に、気遣いの目線を忘れることの無いように胸に刻み、この禅語を忘れぬように致したいものです。
庭が少し新しくなります。
水子供養へお越しの皆さんが本堂へ行かれます時に必ず通る、東の庭を現在、植木屋さんに造り直して頂いています。
勿論、今までの庭も良き庭でしたが、出入りの植木屋さんのデザイナーの女性から「霊源院さんの庭は、町中で水音が聞くことの出来る庭です、お供養へお越しの皆さん、檀家さんがもっと水音と親しんで頂き、心の癒しどころとなるようにデザインさせて下さい」とのお申し出を頂きました。
有難いお申し出ですので、デザインから作庭までを思い切ってお願い致すこととなりました。
中々の難工事となっていますが造園屋さんが頑張って下さっています、完成の暁には水音が聞こえ、目で水の流れを楽しみ、野鳥が水浴びに来る庭となります。
水子供養へお越しの皆さん、檀家さんの皆さん、どなた様にも親しんで頂き、安らぐ庭になると確信致しております。
此処は私たちの「お寺」と多くの皆さんに思って頂き、「私の安らぐ所」と思って頂きたく、願う所です。
完成致しましたら、多くの皆さんに訪れて頂きたく、心より願っております。合掌