「労いの言葉」を頂く、有難さ。
「労いの言葉」を頂く、有難さ。
水子供養へお越しの皆さんもよくご存じのように東福寺は紅葉の名所として知られています。
今年は夏の尋常ではない暑さが続きましたので、色合いが楽しめるように色づくかと心配を致しておりました。
11月の最初の週こそ暖かく、今年の紅葉狩りは残念となるかと思っていましたところ、中旬からの冷え込みで何とか綺麗な色づきになり、それなりに皆さんにお越し頂くことが出来ました。
霊源院もシルバー人材センターの女性陣のお力をお借り致し、「御朱印の授与」を18日から30日迄させて頂き、お陰様で盛況の結果を残すことが出来ました。
お寺の中で御朱印にお越しの皆さんにお茶をお飲み頂き、ゆっくりとお寛ぎ頂きました。
多くの皆さんからゆっくり出来て良かったとのお言葉を頂き、何より嬉しいことでした。
工夫を致し、様々な意味で、このお寺へ来て良かったとのお言葉を頂けるようにして行きたいと思っています。
さて、皆さんにお庭も綺麗とお褒めの言葉を頂き、喜んではいるのですが、これから暫くが実は大変です。
落ちた葉っぱとの格闘が暫くの間続きます。
先日の強風で一斉に紅葉が散り始めました、竹ぼうきでゆっくり、丁寧に掃けるような量ではありません。
ご存知のお方もおられるかもしれませんが、「ブロアー」という風を吹き出す機会で集め大きな袋に詰めるのですが、直ぐに大きな袋が葉っぱで満タンとなります。
そして、残りの葉っぱを今度は竹ぼうきで掃いていますと、そのお尻から又、紅葉の葉っぱが落ちてきます、ため息をつきながらの作業となります。
しかも、年齢を重ねるごとに、掃き方も遅くなるので、中々に捗りません。
「ふうふう」言いながらお寺の外の塀の周りを掃いていますと、「後ろから、ご苦労様です、たいへんですね」との言葉を頂きました。
有難う御座いますと振り返りますと良く存じ上げている、大阪から毎年、お供養にお越し下さるお方でした。
この一言を頂いただけで、少し「ほっと」した気持ちになりました。
言葉の持つ優しさと力です。
この嬉しい気持ちを忘れづに、今度は自分がどなたかにその「言葉」をと強く思うことでした。
御挨拶を頂き、そのお方は蓮華堂へ、私は掃き掃除の続きを致しました。
労いの言葉に限らず、優しさを根底に据えた「言葉」を他者にお掛け致すということはとても大切なことです、お子さんとご一緒のご両親がそれを忘れずに他者へのお声掛けをなされれば、それは、そのままお子さんへの「教え」になり、優しいお子さんとして成長為されてゆくのではないでしょうか。
優しい「言葉」、大切に致したいと思います。
蓮華堂、絆縁堂御本尊様へのお参り。
御本尊様へのお手合わせの作法をお尋ね頂く機会がよくあります。
蓮華堂、絆縁堂共にご本尊様は「地蔵菩薩」です。
御本尊の前に立ちましたら、先ずはお線香を一本お供え頂き、合掌、礼拝を致します。
合掌、礼拝の時には心の中で、或いは、声を出して「南無地蔵菩薩(なむじぞうぼさつ)と唱え、私は地蔵尊へ帰依致します、どうか私の想いを亡くなった大事な赤ちゃんへお届けいただき、亡き赤ちゃんをお守りください」と念じて頂きたく思います。
お参りはこうでなければ絶対ならぬということはありませんが、ご参考にして頂き、大事な故人への思いの丈を御本尊へお伝え下さい。合掌