心に塵を貯めぬよう。
心に塵を貯めぬよう。
私のお寺は新聞は朝日新聞をお願い致しています。
朝起きて、先ずは本堂へ行き、各仏壇へ浄水をお供え致します。
それから、山門の扉を開けに参ります。
門の扉を開けました後は、小門に付けております郵便ポストに配達下さっている新聞を取り出し、先ずは一面に目を遣りながら階段を登ります、今日のメインの記事は何かを確認致しましたら、一旦は新聞を置き、コーヒーを用意致し、一面から三面へゆっくりと目を移し記事を追いかけますのが朝の楽しみ、日課の一部です。
読み終えましたら、家内も新聞に目を通しますので渡します。
読み終えた家内は、所定の新聞のストッカーへそれを片付けます。
霊源院のエリアは燃えるごみの日が週に二日と決まっています、そして、その日には古い新聞を回収下さる業者さんが門の前に古新聞をまとめて置いておきますと、持って行って下さいます。
しかし、燃えるゴミを出すことを忘れることは先ずは無いのですが、部屋の奥にストックの古い新聞は出し忘れることが多くあります。
先日も明日は燃えるごみの日と思い、ゴミ出しの用意を致し、新聞のストッカーを見ますと溢れるばかりに溜まっています。
この前出したばかりなのにと独り言を言いながら、業者さんにお持ち帰り頂けるよう段取りを致しました。
溜まった新聞は次の回収日迄置いておけば良いのですが、心に溜まる悪しきゴミはそうはいきません。
私も含め、人は自分の身に起こることには神経質に反応致し、良き収まりをどなたも求め、それを実行なされます。
しかし、自分に関わりがありながら、緊急性、切迫感の無い事象に対しては、他者との関わり、自分のあるべき有り様に関わりながらも、その解決を後送りに致したり、「まあいいや」との想いで、知らぬうちに他者に迷惑を掛けたり、人を傷つけたり致すことがあります。
「まあいいや」、「そのうちに」という想いで大事な関わりをおざなりに致していると、気づいた時には心に「塵」が山盛りになっているということがあります。
何時も、自分の心に問い掛け、悪しき塵は溜まってはいぬかと問いかけることを忘れてはいけません。
蓮華堂へお参り頂き、大事なお亡くなりの赤ちゃんへお手合わせ致す時も、母さん、父さんは「あなたの両親として心に塵を貯めず、あなたに恥ずかしく無い暮らしをしているよ」と胸を張り、報告頂きたく思います。
お亡くなりの赤ちゃんの菩提を弔う、水子供養ですが、水子供養を通してお亡くなりの赤ちゃんから廻らされた功徳として、「塵無き心」を忘れずにいたいものです。
嬉しいお土産。
毎年、蓮華堂地蔵尊の継続へお越し下さるお方、広島からお越し下さいます。
何時も通り、ご丁寧なお焼香を頂き、蓮華堂での法要を終わりました。
お別れの時、広島の何時ものお菓子ですと、「紅葉まんじゅう」を下さいました。
水子供養を通して、これ程に近しくご縁をお繋ぎ頂いていますことに感謝致しますと共に、僧侶としての張り合いを改めて感じることでした。
本尊さんにお供えの後、お茶と共に美味しく頂きました。
日本各地のご縁の食べ物を頂戴出来る幸せを感じますと共に、お越しの皆さんがこのお寺でご縁が繋げて良かったと思って頂かねば、頂く美味しいお菓子が意味を持たぬと心から思うことでした。
愈々、寒い日が。
本日の京都は朝から温度が上がらず、震える日となりました、午後になり日が照ってもそれほど温度は上がらず、厳しい日となりました。
正月に向けて更に寒さは厳しくなって行きます。
自然の有り様は私たち人間には変えようはありません、願わくは、「あまり厳しい冬で無いことを願うのみです」。
どなた様も御自愛頂き、楽しい年末、年始をお過ごし下さい。合掌