自分の身に「置き換えて」、考えるという事。
自分の身に「置き換えて」、考えるという事。
朝、新聞を広げ一面から目を通して行きますと、以前はウクライナ、ロシアの争いが報道の主流でしたが、最近はやはり、イスラエルとガザとの悲惨な争いの報道が主な部分を占めて、新聞では伝えられています。
勿論、新聞の紙面からも、その大変で悲惨な様子は良く解りますので、辛く、悲しい気持に覆われることは間違いありません。
そんな中、続けてインターネットのニュースを検索致していますと、気になるネットニュースの枠に目が留まりました。
ガザの方々の報道関係のお方と思う方が語っておられたことです、悲惨な現況の写真と共に添えられた言葉「どうか、世界の皆さんが私たちが直面致している、この状況を他人ごとと受け取らずに、我がこととして受け止め頂き、アクションを起こして下さい」とのメッセージです。
しかし、どの様なアクションを私たちが起こすか、起こせるかということは簡単なことではありません。
自分たちの出来る所で、苦しんでいる所の皆さんへのお手伝いは致していかねばならぬという気持ちは絶対に忘れてはいけませんが。
その気持と共に、この言葉「自分の身に置き換えて、我がこととして考える」の重みを感じました。
蓮華堂(水子供養のお堂)、地藏堂の中では、地蔵尊へ願掛け致すという想いにて、お守りをお分け致しています。
蓮華堂、絆縁堂へお参りの皆さんが多くお求め頂き、持ち帰られています。
皆さんの思い思いの気持で持ち帰られるのですが、一番多くお持ち帰られるのは、「健康維持」」のお守りです。
私も含め、誰しもこの今の「健康」がこれからも末永く続いて行きますようにと願うことは少しも不思議ではありません。
しかし乍ら、この世の全ては「諸行無常」であることは以前からお話し致させて頂いています。
今日のこの「元気」、「健康」は明日は解らぬのが人の定めです。
そんな中、自分の懇意の方の、健康不良を伝え聞いた私たちはどうでしょうか、勿論、そのお方の体調不良は心配致し、健康な状況への回復を祈ることは当然になさいます。
しかし、「今の自分は健康で暮らしている」というどこか安堵観と共に、少し他人ごとという気持ちは無いでしょうか。
自分を顧みた時に、そこの部分は否定できない自分がいます。
そこで、先に述べました「自分の身に置き換えて」という言葉が重く受け止めることとなりました。
この言葉を忘れずに、辛い想いのお方とご縁が繋がりました時は「自分に置き換えての想いを忘れずに」お相手と向き合って行きたいと思うことでした。
蓮華堂にお越しの皆さんが常にお堂を大切に、他のお方の奉納地蔵尊を大切なされていることは、皆さんが意識なされていなくても、「流産、縁が繋げず中絶」の区別なく、共に同じ辛さを、「自分の身に置き換えて」感じることがそこで出来ているからではないでしょうか。
この気持ちを胸の底に忘れず、お供養へ向き合って行きたく思います。
愈々、寒さの本番です。
霊源院では恒例の秋の「御朱印授与」を18日から致しております。
水子供養へお越しの皆さんには賑やかく、ご迷惑をお掛け致しております。
30日迄は、何卒、ご許容下さいます様お願い申し上げます。
本日は、御朱印を書いていましても、時には暑いくらいの感じでしたが、夕方になりますと、木枯らしが吹きだし、明日からの寒波の来訪を感じさせれる温度となりました。
新年迄、後一月あまりと考えれば、この寒さも受け入れざるを得ません。
折角、コロナが収まって参りましたので、風邪、インフルエンザに負けぬよう、体調管理を怠らずに、日々を過ごして行きたいですね。合掌