「縁」の不思議。

2023.11.05

「縁」の不思議。

過日、久しぶりに京都の繁華街をお檀家さんのお参りの帰りに通る機会がありました。

最近は日の暮れが随分と早くなりましたので、5時位でしたが外は既に暗くなりかけていて、町にも大勢の皆さんが繰り出しておられました。

多くの飲食店が煌々と明かりをつけて、お客さんのお越しを待っておられるふうです。

これだけの多くの飲食店が日々、営業を続けておられるということは、どちらのお店も間違いなくお客さんが来られ、営業が成立為されているということです。

京都は中堅都市として、又、観光都市として人が多い為にこれだけのお店が立ち行いているのでしょうが、はて「皆さんどんな縁でお店へ」行っておられるのか、ふと思うことでした。

今時ですので「SNS」を通して、又、知人の紹介、或いはご自身の勘でお店へ飛び込まれたりと、様々な縁でお店と繋がられているのだと推測致します。

今まで全く知らなかったお店と繋がり、末永くお付き合いの方もおられれば、一度きりの方もおられるかと思います。

飲食店とお客さん、この繋がりも間違いなく「ご縁」なのです。

そして又、「良き縁」もあれば、「悪しき縁」もあろうかとおもいます。

さて、霊源院がお繋ぎ頂いていますご縁は主には境内の中の「お墓」を新たにご購入頂き、そこへ、大事な故人をお祀り致し、今日迄長らく法事、法要、そしてお葬式などのご縁を通してのお付き合いを頂戴致している皆さんです。

有難いことに、当代の方々だけでは無く、代々に渡りお付き合いを頂いているお方も少なくありません。

しかし、出会いの最初はどなた様とも「縁」が有り、お繋がりを頂いています。

勿論、ご縁が頂けそうで、ご縁が繋がらなかったお方、そして、折角にお繋ぎ頂けた「縁」が絶えてしまったお方、これも又、「ご縁」なのです。

さて、他に頂いている「ご縁」の代表は水子供養の皆さんとのご縁ですね。

水子供養を始めさせて頂いて、もう随分と歳月が経ちます。

本当に多くの皆さんと水子供養を通して「ご縁」が叶っています。

ご年配の方々、そしてお若い皆様と供養を通じて繋がらせて頂いています。

お寺は昔からご年配の皆さんとのご縁が色濃い所というイメージがあり、実際もその傾向はあります。

しかし、霊源院はお若い皆様、ご年配の皆様共に多くの方々がお参りに集って下さっています。

勿論、水子供養を通しての縁も又、繋がることもあれば、切れることもあります。

しかし、初めてお目に掛かり、ご一緒にお供養を致しますと、充実感と共に「縁」という不思議な繋がりを強く感じます。

お供養が一度きりのお方、継続にて毎年お越しのお方、どなたも有難い縁の皆さんであることを日々感じています。

これからも、様々にご縁が広がり、もっと多くの皆さんと繋がりを広げていければ嬉しいことです。

それと共に「縁」という言葉をより以上に大切にせねばと思うことでした。

想像も出来ぬ酷い争いが未だ、収まりそうもありません。

中東のでの酷い紛争の報道に触れる度に心が痛みます。

特にお子さん、女性の方々の受けている被害を見聞き致しますと暗澹たる思い以外にありません。

一刻も早く、有力な国々のリーダーの方々により、平和への手立てに向かって頂きたく、強く願います。

先ずはお亡くなりの戦争の被害でお亡くなりの皆さんのご冥福を心より祈りますと共に、辛い想いの中でお暮しの方々へ心からお見舞い申し上げたく思います。合掌