人間の老いについて。
人間の老いについて。
霊源院へ水子供養のご縁にてお越しの方々は比較的お若い皆さんが多いです。
大事な赤ちゃんを心から望みながらそれが叶わずお越しの方々、赤ちゃんと縁を繋ぎたくても今の状況がそれを許さず、やむを得ず縁を諦める方々。
そして、思いのほか多くのご縁を頂くのが、ご年配の皆さんです。
若い時に待ち望んだお子さんとの縁が残念ながら結ばれなかった皆さん、又、縁を結びたい気持ちが強くあってもその時の環境がそれを許さずに、縁を繋ぐことを諦めた年配の皆さん。
ご年配の皆さんで水子供養へお越し下さる方は思いの外、多くお越しになられます。
どなたも、随分と前の水子さんの供養ですが「可能」ですかと、大概のお方が先ずはお尋ねになります。
もちろん供養に、遅い早いはありませんので、是非、お越し下さいとお伝え致しますと、どなたも安堵のお声と共に供養のお約束を下さいます。
若い時はご自身の生活、仕事に全力で向かい、どなたも忙しく、余裕のない日々の暮らしとなります。
その様な中で、供養が必要になりました時、先ずは手の届く近いところで「とりあえずのお供養」をせざるを得ません。
しかし、時が過ぎご自身の中に余裕が出来てまいりますと、「あの時の、供養で良かったのかしら」との想いが湧いてきます。
その様に想うことが既にお亡くなりの赤ちゃんへの思いが忘れずにあるということですので、お亡くなりの赤ちゃんは十分にお喜びとは思いますが、ご自身の想いの収まりを込めて、お供養にお越しの方々が多いのです。
時間が経ち、その時の想いを思い出し、気持ちの余裕と共に、改めて赤ちゃんの供養をなさり、これからのご自身の日々の生活も良きものにするためのお供養、これは何よりのことと思います。
天声人語から。
先にお話し致しましたことと少し繋がる、朝日新聞の天声人語の記事に目が留まりました。
所謂、「老後」というものは人間以外の動物には存在致さぬそうです。
そもそも老後は野生の動物には無く、生物としての人間が手にした特権だそうです。
それは何故かということに対する答えは、「それは間違いなく、次の若い世代を支える為に、シニアの存在が重要だった」ということだそうです。
もちろん、「老害」という言葉に代表されるように、良きことばかりではないようですが、ご年配の皆さんが若い皆さんを巻き込んでご一緒にコミュニケーションを繋げて行くことが大事ということのようです。
そして、それは人間にだけ与えられたもののようです。
又、その記事は「いかに人らしく生きるかは、老後に掛かっているのです」と結んでいます。
人は老いてこそ、真に人になるということでしょうか。
そのことを思いました時に、水子供養のお堂、「蓮華堂」、「絆縁堂」へ朝から夜遅くまで、若い皆さん、ご年配の皆さんがお参りにお越しになられ、知らない方同士でも同じくお手合わせをなされています。当に世代を超えて、繋がられている気が致します。
水子さんのお参りを通して、お堂で出会う皆さんが世代に拘ることなく、語り合い、繋がることが出来ましたら、お寺にとって何よりの「喜び」と思うことでした。合掌