お母さんの「子」を思う優しい仕草。
お母さんの「子」を思う優しい仕草。
水子供養を終え、蓮華堂、絆縁堂にご自身方の地蔵尊を奉安の皆さんは、お一人で、又、仲の良いカップルで、そして、ご家族お揃いで賑やかにと、おもいおもいにお参りにお越しになられます。
お寺と言いますと、随分と敷居が低くなり、観光以外でも気楽にお参りに行けるお寺も増えたようですが、まだまだ、観光以外では「殊更」の縁がありませんと気楽に行けるお寺は少ないようです。殊更の縁と申しますのは、霊源院もそうですが、「檀家さん」、そして、お墓参りの皆さんになるでしょうか。
お陰で霊源院は水子供養のご縁の皆様が、「ここは私のご縁のお寺」という気持ちで寄って下さいますので、朝から夜まで、様々な世代の皆さんが敷居を低く「普通に」お参り下さっています。
その様子を拝見致します度に、少し自慢の気持が出る程です。
さて、過日本堂で水子供養を済ませ、引き続き蓮華堂の回向の為、ご縁のお方とお堂へ入りました。
既にお堂には小さい女の子、男の子、お父さん、お母さんがお参りにお越しでした。
お邪魔致しますと挨拶致しますと「どうぞ」とお答えいただき、何時もお世話になりますとのご挨拶まで頂きました。
お堂中央に本日ご縁のお方の地蔵尊、水塔婆をお祀り致し、ご回向を始めるべく、何気にその家族に目を移しますと「お母さんがご自身のお家の永代の水子地蔵尊の頭に自身の手をやり、頭を撫でますと、そのままお二人のお子さんの頭をそろりと撫でる動作をなさりました」。お亡くなりの大事な赤ちゃんへ、「どうか、この二人をお守り下さいねと言っているのです」。
お亡くなりの赤ちゃん、お元気に育っているお二人のお子さんへの「深い深い、想い」が見える、何気ない動作に感動を感じました。
より一層に力強く、お経を読み、本日のお供養へお越しのお方様とお別れを致しました。
蓮華堂、絆縁堂は共にお亡くなりの大事な赤ちゃんを追慕なさる皆さんがお越しです。皆さんお知り合いではありませんがそのような何気ない愛情に基づく「所作」を見られているのではないでしょうか。
鏡の中の自分の顔に注意です。
どなたも、自分の顔を鏡で見ない方は先ずはおられません。
先日、敬愛致す僧侶の先輩から頂いたお言葉です。
私は名前は竹内 希元(きげん)ですので、お坊さんの内では、親しみを込めて「げんさん」と呼んで頂く機会が多いです。
その先輩が「げんさん、年を重ねると、生き様が顔に出て、人相が悪くなることがあるから、お互い加齢に従い、自分の生きようを丁寧に内省しなければいかんよ」とお話し下さいました。
以前から聞いているお話しです。男も女も「美人、男前」ではなく、良き人相、悪しき人相は加齢と共に、その人の生き様を移すとのことです。
ネットのニュースを見て、その時々の話題の方々の顔写真を拝見致し、「なる程」と思うことが多い日々です。
鏡に映る自分のその顔を見て、今の自分の生きように対して点検の気持を持たねばと思う事でした。合掌