禅宗ではトイレのことを「東司」(とうす)と言います。

2023.04.25

禅宗ではトイレのことを「東司」(とうす)と言います。

ご存知のお方も多いかとは思いますが、禅宗「臨済宗、黄檗宗、曹洞宗」ではトイレのことを「東司」と言います。

トイレの別称は雪隠、西浄等多くの呼び名があります。それほどに私たちにとって、欠くことの出来ない場所です。そして、何故にトイレのことを東司と呼ぶのかの説はネットで見ましても諸説あるようで、これは絶対という説は確定されていないようです。

しかし、司という語が入ること、又、その東司にはトイレをお守り下さる「烏枢沙摩明王」(うすさまみょうおう)が必ずお祀りされていることを考えますと、とても大事なそして清浄であるべき場所として今日まで、お寺では大事な場所として扱われてきていることは間違いないのではないでしょうか。

しかも、お寺を構成致す建物群「七堂伽藍」(しちどうがらん)「本堂、仏殿、僧堂、三問、浴室、庫裏、東司」の一つとして数えられることを見てもそうではないでしょうか。

霊源院にとっての本山、東福寺には、重要文化財に指定されているトイレ「東司」があります。その隣にあります大禅堂で修行をなされた多くの僧侶が使われた為、トイレとは思えぬほどの大きさです。

その中に、僧侶がトイレをその当時に使っていた、説明の絵がありますが、中々に興味深いものです。

東福寺へお越しの節にはお忘れなく見学下さい。

さて、何故にトイレの話かと言いますと、先日、水子供養へお越しのお方様のびっくり致す「陰徳」(いんとく)「人知れずに他者の為に良き行いを積む行為」を拝見致したからです。

玄関のインターホンが鳴り、返事を致し、戸を開けますと、若い女性がコンビニの袋を持っておられます。

お声を掛けますと、「トイレの紙が切れていますのでお願いします」と申されました。

それと同時に、「使い捨ての紙タオルが一杯になっていたのでついでに持ってきました」とコンビニの袋一杯のゴミを渡して下さいました。

他の方が使われた使い捨ての手拭き用の紙を淡々と片付けて下さったのです。

先に述べましたように、トイレはどなたにとりましても欠くことの出来ぬ場所です。

ともすれば、汚されることが当たり前とも思われかねぬ場所ですのに、後に使われる方の為にゴミを片付けて下さったのです。

感謝申し上げ、そのゴミを受け取らせて頂きました。

蓮華堂へお参りのお方様のこの行為は正しく、亡き赤ちゃんへ巡る、「追善供養」そのものだと感じ、嬉しい一日となりました。

本堂前の庭巡りのお方が増えてまいりました。

4月に入りましても肌寒い日々は続いていますが庭の緑、そして花は間違いなく初夏へ向かっています。

本堂前の庭は狭いながらも歩いて散策出来るようになっています。足元の艶やかな花、見上げれば艶のある緑。

以前は水子供養にお越しの皆さんはご遠慮なされ、本堂へお参りの後はそのままお帰りのお方が多かったのですが、最近はお連れの方とご一緒に、或いはお一人でゆっくり庭を散策頂いている姿を拝見致す機会が増えました。

霊源院、蓮華堂、絆縁堂を近くに感じて頂いているからだと思います。

此処は皆さんのお寺と思って頂き、より近くに感じて頂きますこと、心より願います。合掌