和顔愛語。
和顔愛語。
水子供養のご縁を頂き、無事に本堂での法要を済ませ、蓮華堂へ向かう途中の道すがら、ご夫婦でお越しの奥さんが霊源院の客殿の廊下で立ち止まり、私の顔を見ながら、「綺麗で落ち着く庭ですね」とお言葉を掛けて下さいました。そして、奥さんと顔を向かい合わせに致しますと、優しくニコニコなさっておられます。
先ずは、お庭をお褒め頂いたことへのお礼を申し上げました。
それと同時にその奥さんの表情とお言葉から「和顔愛語」(わげんあいご)という仏教の教えの言葉を思い起こしました。
有名な言葉ですので多くの皆さんがその意味はご存知かと思います。
字が示しますように「穏やかな顔と優しい言葉」を持ってお相手に向き合う、思い遣りの心を指し示す言葉です。
私たちは日々の暮らしの中、仕事場で、そして様々な人との出会いの中でお互いに顔を向け合い、言葉を行き来させています。
勿論、普段は殊更にお相手を不愉快にさせたり、攻める理由も無いので、顔と言葉にさほど意識が向かうことはありません。
しかし、ふとしたことで相手と対峙いたしたり、不満な感情が膨らんだり致しますと、「怖い顔」を見せたり、「荒々しい言葉」を発したりすることはどなたにもあろうかと思います。
私も当然にそのような態度を取ってしまうことが反省せねばなりませんがあります。
「しまったなと」思いながら、うやむやに致したり、自己嫌悪を感じたり致します。
当たり前ですが、そのような不快な顔の表情、不快な言葉を受けられた方が快く思うわけはありません。
感情の高まりと共に、発してしまう言葉、顔の表情なのですが、その時に、先ずは相手のお方はどの様な想いでその言葉を発し、その顔の表情となられたのかをイメージ致してみることが大切かも知れません。
それと共に常日頃に様々な方々とお目に掛かる時、不快な顔、不快な言葉を喜ぶお方は一人もいないのだということを心に留め置かねばなりません。
残念ですが「和顔愛語」と真逆のお話しを聞く機会が多いです。
そうです、ネットの記事を見ていますと、パワハラによる辛さと酷さを伝える記事が絶えることがありません。
「太陽と北風」の話もあるように厳しい言葉、厳しい表情を投げつけるだけでは人は変わりません。もちろん、理を尽くして厳しく上司が部下のお方を指導することは当然に大切かとは思います、そしてそのお相手の為になることは間違いありません。しかし、心の奥底に、「和顔愛語」に通ずる「優しさと思いやり」が無ければ、それはただの「怖い顔」と「ひどい言葉の暴力」でしかないのではないでしょうか。
コロナからこっち、マスクを外せない日々が続き、口元、お顔全体を他者に見せてコミュニケーションをとる機会は減っています。
しかし、春先からのマスク着用の自己判断が示され、暑い日も増えてきました、。そう遠く無いうちに、マスクを外しての会話、対面がこれからは通常の日々となって行きます。
より一層、思いやりと優しさを伝える「和顔愛語」を心の中に置き、日々の暮らしの中で多くの皆さんとご縁を繋いでいかねばと思うことです。合掌