合掌する姿の美しさ。
合掌する姿の美しさ。
愈々、暖かいシーズンがやって来て、庭のお掃除も随分と楽になりました。それに伴い、草も又、待っていた時期というようにグングンと伸びだしてきました。本堂前の藪にしゃがみこんで草引きを致していますと、子供さんが3人、お父さん、お母さんの5人家族が本堂へ向かわれました、こんにちはと挨拶を致しますと、本堂へお参りさせて頂きますと申されるので、「どうぞ、どうぞ、是非」とお声掛け致し、引き続き草引きを続けました。
本堂へ目を向けますと、ご家族が横一列に並ばれ、深々とご本尊へ合掌、礼拝を丁寧になされました。
その合掌を致す姿がとても美しく、印象的な景色となりました。
ウキペディアを見ますと合掌はインドから伝えられた礼拝の姿だそうです、インドでは右手は仏の象徴で、清らかな物や知恵を表し、左手は衆生、つまり自分自身で不浄さは持っているが行動の象徴ということです。
この両手を合わせることで仏と一つになり、仏様への帰依を示すとされるとのことです。お坊さんはあらゆる挨拶の時に合掌を致しますが、それは相手に対しての深い敬いの気持も表しています。
不思議と合掌をお相手から頂き、目と目を合わせますと、そこに穏やかな気持ちが漂うのは不思議です。
これは、合掌の手の中に仏様が宿っているので、どなたが合掌をなされても優しく感じるのかもしれません。
そういえば、映画、テレビで外国のお方が合掌をなされている姿を拝見いたしましても同様に穏やかな空気を感じたように思います。
普段、何気に、習慣として使っている「合掌」ですが、改めてその重みを感じます。
人は日々に穏やかに過ごすことばかりでなく、時には他者との争い、そして憎しみを持ってしまうこともあります。
又、世界を見回せば、未だ、残酷な戦争が続いています、簡単ではありませんが、折に触れ、合掌の心を思い起こし日々暮らしたく願うと共に、平和を願い、それが実現致すことを合掌を通して心から願いたいと思います。
少し静かな日々が戻ってきましたね。
昨日の日曜日は日本中の各地で地方選挙でした。
霊源院の本堂で水子供養のご縁を頂き、ご回向を致していますと、土曜日までは選挙カーから聞こえる支持を訴える声が響き渡り、正直、少しげんなり致していました。
法要の厳かさえも、申し訳ありませんんが打ち消される感じで、少し困るなという気持ちが続いていました。
勿論に私たちの生活を立てて行くに当たり必要なことは十分に理解は致したうえでなのですが、静かな環境で法要が出来ますのは嬉しいです。
新しい始まりの月、4月です。
先月3月は卒業、そして、会社にお勤めの方々は転勤、職場の移動、学生さんは新居への引っ越しと忙しい月となりました。
霊源院の水子供養のご縁、法事、法要もその為か、例年、3月は法要のご依頼は比較的に少なくなります。
愈々4月、新生活も始まった方も多いかと存じます。
少しずつ落ち着かれましたら、ご縁をお繋ぎ頂きたく願っております。
お参りと共に、又、多くの皆さんにお会い致したく願っています。合掌