優しい気持ちが伝わって参りました。
優しい気持ちが伝わって参りました。
蓮華堂へお参りの高齢の女性に、お孫さんでしょうか、優しく付き添いながらお二人でお堂へ入って行かれる姿を拝見致しました。
霊源院の水子供養へお越しの皆さんは比較的お若い世代の方々が多いのですが、高齢の皆さんもけっして少なくありません。
ご自身がお若い時に亡くされた大事な赤ちゃんの供養へ「30年、もっと前なのですがお供養を致して下さいますか?」という問い合わせを多く頂き、それに対して「お供養に遅いということは決してありませんよ。」とお答えさせて頂きますと、電話口から安堵の息遣いが聞こえ、お供養の日時の約束を早速にと頂くことは多いです。
お若い時は日々の忙しい生活に追われ、又、家族の御守りに忙しくなされ、お亡くなりの赤ちゃんのお供養を致したいのはやまやまなのに、時間が取れず、そのままに年月が過ぎてしまうことは珍しくありません。
そして、年齢を重ね、日々の暮らしに余裕が出来てきた時、ふと、きちんとした供養を致していなかったお亡くなりの赤ちゃんのことを思い起こされるのだと思います。
人はそのような時、永らく供養をせずに来たことへ悔恨のお気持ちを持つのと共に、今、心からの供養を致したいというお気持ちが共に湧きおこるのだと思います。
本堂で水子供養のご回向を致し、お越しのご年配のお方(特に女性が多いのですが)にお焼香を頂き、席へ戻られたお方に目を移しますと、静かに眼を閉じられて、合掌をなされ、涙をこぼされているお方が少なくありません。
お亡くなりの赤ちゃんへの想いの深さを感じますと共に、その想いは間違いなく時を超えて、お亡くなりの赤ちゃんへ届いていると思います。
お越しの方の法要が終わり、お顔を拝見いたしますと、安堵の表情を浮かべる方が多く、お勤めさせて頂いた喜びを感じます。
さて、先にご紹介いたしました、高齢の女性のお方とお孫さんのお話しですが、女性のお方が少し足の調子が悪いのでしょうか、庭の飛び石が歩きにくいために、不自由そうに歩いていますと、女の子、中学生くらいでしょうか、女性のお方の腕に「スッと」手を伸ばし、支えながら歩く手助けをなさいました。
女性も嬉しそうに頼っておられるふうでした。
女の子のさりげなく、深い優しさを感じる出来事でした。
お二人とも良きお参りをなされたことと思います。
私もこの女の子の優しさを忘れづに、中々に難しく、少し照れを感じてしまうかもしれませんが、機会がありましたらこのような優しさを実践致さねばと思うことでした。
みんなの花壇が春満開です。
蓮華堂横のみんなの花壇、以前に花が絶えることがありませんとお伝えいたしましたが、今は春を迎え、本当に百花繚乱(ひゃっかりょうらん)です。
特に今はチュウリップの花がウキウキする程に綺麗です。
皆さんがこの花壇を大切に想って下さっていることが伝わり、本当に嬉しい気持ちとなります。
祀られているお亡くなりの赤ちゃん方も本当に喜んでいることと思います。
そしてお堂前の池の金魚も元気に泳いでいます。
春のお花と共に嬉しい季節がやって来ました。合掌