大事なお亡くなりの赤ちゃんへの追慕の気持は皆さん一緒です。
大事なお亡くなりの赤ちゃんへの追慕の気持は皆さん一緒です。
半世紀近く前までは、水子供養と言えば「祟り」から逃れる為に必要なお勤めという定義があったようです。
勿論、私はそのような目線で水子供養を見たことは無いのですが。
しかし、半世紀前位は、お寺の責任、そして世間の間違った認識により、自分の家族に想定外の不幸、そして、自分たちの身体不調、家族の不和が発生致した時、然るべき寺等に相談を掛けますと、「その原因は供養が出来ていない水子さんがいる」、故に供養をせねば、更に悪いことが起きるというようなことを語ったところがあるようです。
純真無垢の水子さんが祟るはずは絶対にありません。
寧ろ水子さんに極めて失礼な思いこみと思います。
そして、残念ですがその悪しき部分が完全に払しょくされずに少しですが今日まで残っていることは否定できません。
しかし、それは間違いです。
自然流産で縁が繋がらなった時は「又、絶対会おうね」と伝え、そして授かった赤ちゃんと縁を繋ぎたくても、状況がそれを許さず、止む無く中絶という事態に至ったとしても、「生んであげらねなくて、ごめんなさい。」必ず、次の縁が繋がったら一緒にねという気持ちを語り、お手合わせなされましたら、祟る水子さんなど、絶対におられません。
只、お亡くなりの赤ちゃんへ追慕の気持を持ち、共に供養を致し、お亡くなりの赤ちゃんの良き転生先を願うと共に、良きご縁の繋がりを求めることはとても大切なことです。
霊源院へ水子供養でお越しの皆さんが、永代の水子供養、釘掛け水子供養の区別なく、皆さんが、当たり前に何回も継続供養、或いはご回向を希望なされお越しなされるのは、当に上に述べましたお気持ちの端的な表れと思います。
過日、ネット申し込みの水子供養のお二人が大阪からお越し下さいました。
お申し込みの段階で外国のお方の名前でお申し込み頂きました。
今まで、このようなお申し込みの時は、お二人のどちらかが日本人で、お連れが外国のお方ということは決して珍しくはありませんでした。
しかし、今回はお越し下さり、お目に掛かりますと、お二人とも外国のお方です。
只、女性のお方が、かなり日本語が達者で、お供養の流れの説明も順調にさせて頂くことが出来ました。
霊源院の釘掛け供養の説明を致し、地蔵尊へご自身方のお名前を書き込み頂き、本堂でお勤めを致しました。
お焼香等が対応頂けるか、少し心配でしたが、お祀りの地蔵尊へ、丁寧な焼香を頂き、深々と合掌礼拝なされる姿を拝見いたしますと宗教の違い、日本人、外人の違いは全くありません。
寧ろ、合掌、礼拝の深さを見ていますと、これ程にお亡くなりの赤ちゃんへの追慕が深いのですねと感じる程でした。
お供養という言葉を考えますと、日本に生まれた私達だけの有り様かと思っていましたが、自分たちの大切な亡くなった赤ちゃんを追慕致し、供養を続けたいという気持ちに国境は無いということを感じさせて頂けるお方とご縁が繋がりました。
これから先、お供養をご縁に様々な国の皆さんとご縁が繋がると思いますと何とも嬉しく、不思議な気持ちが致します。
想像致していなかった、広いご縁が広がっていく希望を感じています。合掌