お供養は自分の心と向き合う事でもあります。
京都東福寺霊源院の水子供養ブログ
お供養は自分の心と向き合う事でもあります。
お亡くなりの赤ちゃん、ご自身方の大切な故人が良き所へ転生なされていることを願い、皆さんは追善のお供養をなさいます。
追善供養はお亡くなりの故人がお元気であれば積み上げ致しておられた「善行」を故人が実現できないので、残っている私たちが故人への供養として致すことです。
その行為を通して、お亡くなりの赤ちゃん、大事な故人が良き転生先で安楽であることを願います。
お供養は先ず、お寺へご依頼致し、故人の追福を願い、ご回向をご依頼致し、共にお手合わせの後、故人へその願いが届きます様、お焼香を致します。
しかし、追善供養はお寺との関わりの中だけですることではありません。
私達が日々の暮らしの中で行う、行為、それ自体が故人へ向かう追善のお供養であることを心に思い描い頂きたく思います。
毎日の暮らしの中では、多くの皆さんとご縁をお繋ぎ頂き、他者を助け、そして他者からお助けいただきながら私たちは暮らしています。
ともすれば、この私の力、努力で今日の有り様が成立致しているように思いあがってしまうことは無いでしょうか。
気づいていないだけで、多くの皆さんの思いやり、親切心で日々の生活が順調に回っていることがあることに気づかなければいけません。
そのことに気が付けば、私が他者へそのお返しを致さねばとの思いに至るのではないでしょうか、それと共にお亡くなりの大事な故人が良き所へ転生なされます様、ご縁に基づき他者への親切心を発揮いたすことは尊いことと思います。
それが、自分の大事な故人への追善に繋がります。
そう考えますと、お供養を思い立った時には、先ずは今の自分と向き合い、この私が追善をお寺の外で積み上げられることは何なのかと、自分の心へ問いかけてみたいと思います。
深い想いでお供養へお越し下さいました。
年配のご婦人のご依頼で、水子供養を勤めさせて頂きました。
ネットでのお申し込みを頂き、添え書きが御座いました。
ご自身が人生の締めくくりの年齢の域に達し、随分と昔に亡くされた赤ちゃんの供養を今、どうしてもせねばという気持ちに突き動かされていますとの添え書きでした。
深い想いをお持ちになりお越しになられました。
年配でらっしゃいますが、お元気になされておられました。
御付き添いのお方とお二人でお越しでしたので、本堂へご案内致し、亡き赤ちゃんのお供養を勤めました。
最初から最後まで合掌を崩さず、しっかりと正面を見据えてお手を合わす姿はその思いがどれ程に深いかを感じることでした。
蓮華堂へ行き、ご回向の後、今後も是非、お参り下さいます様、お伝えいたしますと、必ず、お参りに参りますとのお言葉を頂き、安心なされたお顔を拝見いたし、嬉しい心持となりました。
今年も愈々、終盤を迎えます。
本当に一年が瞬く間に過ぎゆきます。
今年も多くの皆さんと水子供養を通して沢山のご縁を頂戴致しました。
蓮華堂、絆縁堂へお参りのお越しの皆さんとも近しくお付き合い頂き、お寺の甲斐を感じる一年となりました。
ここ数日、京都は凄まじい寒さが続いています、外の掃き掃除も躊躇致すほどの寒さです。
しかし、寒さはこれから2月へ向かい本番となります、先ずは皆さん良き歳をお迎え頂きますことを祈念致しますと共に、来る年も宜しくご縁をお繋ぎ頂きたく、心より願います。合掌