水子供養での3回忌を勤めました。
京都東福寺霊源院の水子供養ブログ
水子供養での3回忌を勤めました。
昨年にお亡くなりの赤ちゃんの1回忌をお勤めなされた、ご夫婦が今年は3回忌の為にお越しになられました。
お二人が大事に蓮華堂でお祀りなされている、地蔵尊を本堂へお祀り致し、法要をご一緒にお勤め致しました。
熱心にお手合わせなされている姿を拝見いたしますと、お亡くなりの赤ちゃんは勿論にお喜びと思いましたが、お二人がこの先も、仲睦まじく、人生を歩かれて行くことを確信致しました。
法事、法要はお亡くなりの方々への大事なお勤めであることは間違いありませんが、それと同時に、残っている皆さんが元気に、前向きに日々を過ごされて行く為の大切な「場」、そして機会となることも又、確信致しました。
さて、1回忌、3回忌、7回忌と皆さん、丁寧にお勤めなされますが、法事の意義、そして意味にも目を向けて見たいものです。
先日も少しお話し致しました、お参り、法要の意義ですが、これは先ず、私は大事なあなたのことを決して忘れてはいませんよ、そして、私たちが今日、安楽に過ごせているのは、連綿と続く、ご先祖の方々の功徳が根底にあることを強く認識致し、報恩、感謝の思いを届けることとお話しいたしました。
それと、共にもう一つ。
1回忌は正式な名称が「小祥忌」(しょうしょうき)と言います。私が本堂でお勤め致します時はこの名称で故人を追慕致す、回向となります。
この名称の意味は字の通り「少し、お目出たい」との意味となります、法事、法要でお目出たいとはと少し疑問のお方もおられると存じます。
これは、赤ちゃん、大人の故人であると、無いとを問わず、残された皆さんにとってとても大事な人となります、その大事な故人が思いもよらづお亡くなりになり、残された皆さんは失意に沈んでらっしゃいます、お亡くなりになられた大事な故人を追慕致しますと同時に失意の気持を抱えて生きて来た一年となり、その節目に1回忌として法要を致すこととなります。
そうです、辛い、辛い気持ちを抱えて1年が過ぎますが、何とか辛い気持ちに負けづ、踏ん張り生きてきました。
そういう意味では、この一年の間、挫けずに日々を過ごせましたことは、「少し、おめでたいですよ」、よかっですね。という気持ちでお勤めを致しますので、小祥忌としてご回向を致すのです。
そして、更には、数えの3年目、まる2年で勤めます、3回忌は「大祥忌」(だいしょうき)と呼びます。
此方の法要は先に述べました1回忌より更に、1年の間無事に日々を過ごせました、そういう意味では、小祥忌より更におめでたいですよとの意味を込め勤める為に、この名称となります。
そして、7回忌は「超祥忌」(ちょうしょうき)という名称となります。
数えで7年目、まる6年で勤める法要となります、あれから、辛い気持ちも少しは和らぎ、6年もの間、無事に日々を過ごせました、これも、故人の加護があってのことですとの感謝の思いを心に持ち勤めます。
節目の法要のお勧め。
蓮華堂、絆縁堂にてお受け致しています命日回向、多くの皆さんにお申し込みを頂いています。
お亡くなりの赤ちゃんの命日にお堂にてお勤め致していますが、上でお話し致しました、法事も大きな節目の法要として、お亡くなりの赤ちゃんを追慕頂けましたら良いかと存じます。
宜しければ、是非、お問合せ下さい。合掌