「しんどい」なと思う時、立ち止まり周りを見渡すと景色が変わります。
京都東福寺霊源院の水子供養ブログ
「しんどい」なと思う時、立ち止まり周りを見渡すと景色が変わります。
私は長野の出身ですので、関西に来て初めて聞く言葉でしたが、「しんどい」という言葉、大変、辛いという言葉とほぼ、同じ意味と解釈しています。
しかし、永らく関西で暮らしていますと「辛い時」、「しんどい」という言葉がむしろ、その辛さをより的確に伝えている気が致します。
水子供養へお越しの皆さんは、流産、中絶と様々な事情を抱え、亡き赤ちゃんの供養へお越し頂いています。
大事な赤ちゃんを失われた理由は様々でも、「その辛さ、しんどさ」はどなたにとっても、立っているのさえ辛い程のことと想像致します。
その辛さ、しんどさを乗り越えて頂く、方法の一つとして水子供養へお越し下さることはとても有意義であり、お亡くなりの赤ちゃんも又、喜んで下さる事ではあります。
しかし、その辛さ、しんどさ故に、少しも前に進めない程の時もあるのではないでしょうか。
そんな時、只立ち止まり、只、周りを見回して見て下さい。
思いつめていた自分の気持の向かう方向が見えるはずです。
蓮華堂、絆縁堂へお参りにお越し下さり、多くの皆さんが奉納された地蔵尊へ目を向け、皆さんがお供えなされたお菓子、玩具へ目を遣り、そして、亡き赤ちゃんへの皆さんのお手紙に目を遣って見て下さい。
思いつめた自分の気持とは違う、世界が見えてきます。
私は今、本山の御開山のお堂の御守りの役を賜り、毎日、夜にお経を読むためにお堂への長い坂を登ることが日課となっています。
この長い坂は中々に辛く、毎日、「ふうふう」と言いながら登っています。
只、しんどいなと登る日が多いのですが、たまに、本当に辛く、立ち止まることがあります。
そんな時、「一息」と自分へ伝え、ぐるりと周りを見回しますと京都の夜の風景が目に飛び込んで参り、こんなに綺麗だったのかなと思う程の時があります。
人の心の風景、自然の風景との違いはありますが、「しんどい」なと感じた時には誰に遠慮もいりません、立ち止まり「ふうー」と深い息を吸い込んで見て下さい。
景色は必ず、変わります。
急激な寒さが近づいている感じです。
夕方にお参りで車に乗り込みますと、日中とは全く違う寒さを感じました。
既に12月ということを思えば、この寒さもむしろ遅いくらいかもしれません。
しかし、ついこの間までは、コートも不要な暖かさ、やはりこの急激な温度変化は尋常ではありません。
しかし、12月ということを思いましたら、この寒さこそが、本来なのかもしれません。
気が付けば、12月、新しい年まで、後ほんの僅かです。
今年、一年、この私が出来たことを思い起こしますと、只、頭を垂れるしかありません。
それでも、立ち止まった後には、積極的に歩数は少なくても、歩き出したいと思います。
立ち止まり、周りを見回した後は、深い「深呼吸」を致し、前へ前へと進んで行きたいものです。
十分に体調に留意致し、新し歳へ向かい歩んで行きたいものです。合掌