足るを知る。
京都東福寺霊源院の水子供養ブログ
足るを知る。
この言葉をご存知ない人はいないでしょうという位によく知られている言葉です。
意味の解釈もそのまま素直に今の自分の有り様に満足を見て取り、それ以上には欲を求めぬという解釈になるでしょうか。
そもそも、人間の欲望には際限が無く、それ故に苦しみが発生致し、人は苦しむと言われたのはお釈迦様です。
その様なことを考えますと、これ程仏教的な言葉は他に無いかもしれません。
何故、この言葉を考えたのかと申しますと、今朝の新聞記事にウクライナ紛争の中で、ロシアがこれから来る厳寒の時期に、生活のインフラの根幹たるエネルギー施設を攻撃し、ウクライナの民間の方々への生活へ打撃を与えるとの記事があったからです。
これからウクライナ、ロシアに来る冬の時期は私たちが想像できない程の寒さということです。
その厳寒を乗り越えるための、エネルギー施設へ攻撃致し、インフラの破壊を目指すという報道です。
普通に、慎ましく暮らしておられたウクライナの皆さんが寒さに怯え、上下水道さえも使えず生活が立ち行かぬとのことです。
本当に恐ろしいことと思います。
日本で暮らす、私たちは今、寒ければ十分な暖かさを得る暖房に恵まれ、暑ければ涼しい環境を得ることが出来ます。
しかも、その環境はあって当たり前との思いで日々を過ごしています。
勿論、そのような環境で暮らせる有難さは感じていることは間違いないのですが、それでも、もっと暖かく、もっと涼しく、しかも快適にと兎角考えてしまってはいないでしょうか。
食べ物、飲み物も十分に美味しく満足の高い物を頂いていますのに、もっと美味しい物、もっと満足感の高い物をと思い、求めてはいないでしょうか。
かくいう私がその代表かも知れません。
ウクライナの皆さんが心の底から心配なされている普通の生活の保持が困難との報道を聞くにつけ、私たちのこの有難い状況を自分たちは本当に解っているのか考えてしまいました。
その様な時に頭に浮かんだ言葉が「足るを知る」です。
蓮華堂でお祀り致しています、お亡くなりの赤ちゃん方は自分が望む食べ物、飲み物、おもちゃがご自身で得ることが出来ません。
故に、お参りの皆さんがお供えとして心を込めてお供え為されてゆきます。
この、お供えを致す時にお亡くなりの赤ちゃんが喜んで下さることを想像致すと共に、お供え致している、この私は美味しい物、良き物を有難く頂いているという感謝の気持ちを思い起こして下されば、お亡くなりの赤ちゃんが教えて下さる「足るを知る」の功徳そのものではないでしょうか。
ウクライナの皆さんが辛い冬を迎えませんことを、心から祈念致しますと共に、この言葉を改めて嚙みしめたいと思います。合掌