お亡くなりの赤ちゃんへの深い想い
京都東福寺霊源院の水子供養ブログ
お亡くなりの赤ちゃんへの深い想い
過日、お電話でお供養のお申し込みを頂戴致しました。
日時等を私の予定と摺り合わせでお約束させて頂く中で、実は18年前に霊源院へお越しになり水子供養をなされたとのこと、前回は釘掛け供養でお供養をなされましたが今回は永代供養(石の地蔵尊をご自身方の地蔵尊としてお祀り致します、又、月に一度地蔵尊の縁日に住職がお堂でご回向を致します。)でとのお申し出でした。
お亡くなりの赤ちゃんへの深い想いがあるからこそのことと存じます。
その電話でお話しを致す中で頭に浮かんだ言葉があります。
それは「慈しみ(いつくしみ)の心」です。
残念なことなのですが、失われた赤ちゃんの命への深い慈しみの心、その心が長年に亘り心の奥底に有られたのだと思います。
その深い慈しみの心は間違いなく赤ちゃんへ届いているはずです。
そして、その慈しみの心がご自身を支え、優しい心で暮らすことが出来ておられるのだと思います。
さて、私たちひとりひとりが今ここで生きているということは、多くの方々とのご縁があってのことです。
それは、今ここで生きて生活致す中でのご縁は当然ですが、生を受けることなくお別れ致した赤ちゃん方も同じご縁の一つなのです。何より私たちがこの世に生を享けた(うけた)のは私たちの両親との縁があったからです。
そしてそのご縁は私たちの両親の更に先におられるご先祖様とも繋がっています。それぞれのご先祖様が慈悲(慈しみの心)の心を深く持たれ大事に子育てを致して下さったことが稔り、それが何世代にも渡って引き継がれ、今ここにいる私たちはこの世に生を享けたのです。
そして、今日まで大事に私たちを育てて頂いたご縁、毎日の食事を始め、着るもの、住まう部屋を頂いたご縁。そして成長致す中で家族は勿論ですが学校の先生、お友達から様々なことを学び、お手添え頂いたご縁。様々なご縁がそこに有り多くの皆さんに支えて頂いて私たちは此処で生きています。
言い換えましたらば、お亡くなりの赤ちゃんをも含め様々なご縁のある多くの皆さんが慈悲(慈しみのこころ)を持って私たちを支えて下さったお陰で私たちは日々を安心致して暮らしているということかと思います。
この頂いている慈しみの心へ報いる為に、お亡くなりの赤ちゃん、ご先祖へのお供養は忘れずに継続致して行きたいものです。
9月25日、蓮華堂、絆縁堂でご回向を致しました。
彼岸中の25日、蓮華堂、絆縁堂で先亡(せんもう)の赤ちゃん方のお供養、ご回向を致しました
御本尊地蔵尊の前で追善回向を致し、各ブロックの各家の地蔵尊の前でお経を読みながらお焼香を致して回りました。
何時ものことですが、秋のお彼岸中の一周間、ご家族の皆さんも含め多くの皆さんがお手合わせにお越し下さいました。
各家の先亡の水子さんもお喜びと思います。
今年は25日に霊源院の御縁の皆さんの彼岸の法要を致しました、此方も多くの皆さんにお参り頂き、盛況な法要となり嬉しいことでした。そして、今年から水子供養へお参りの皆さんにも彼岸のお参りを頂きたく、本堂前に法要の時間中、香炉を御用意致し、どなた様にも気軽に焼香、お参り頂けるように致しました。
此方もご家族連れの皆さんも含め、お若い方々の区別無く、多くの皆さんが自然にお焼香頂いておりました。
お寺が皆さんの拠り所になっていることを感じ、嬉しい一日となりました。
みんなの花壇が更に賑やかになってきていることにお気づきでしょうか
御存知の蓮華堂北側の「みんなの花壇」、賑やかになってきていることを以前にお伝え致しました。最近は様々な花は勿論増えて、更に丁寧に花の種類が解るカード迄御用意頂けるようになりました。
お参りの皆さんの想いの深さが伝わる景色です。
お亡くなりの赤ちゃん方も喜びのことと想像致します。
暑さ、寒さも彼岸迄といいます。異常気象と言われながらも猛暑が過ぎ、少し過ごしやすい日々が来たように思います。昔からの言い伝えは今も生きているように思います。彼岸が過ぎての過ごしやすさです。
しかし、もう暫くは暑い、寒いからは逃れられないと思います、体調管理に留意致し次の季節を元気に迎えたいと願います。合掌