禅語「看却下」について
水子供養でお参りの方は参考にして下さい
禅語「看却下」について
目次
看脚下の意味
「看脚下(かんきゃっか)」という言葉は、禅語の一つで多くのお寺の玄関によく掲げられている言葉です。
足元に気をつけて履き物を脱いだら揃えなさいという意味ですが、それと同時に自分自身への反省を求める言葉でもあります。
「これまでの行ってきたことや、今の有り様は間違っていないのかを確認なさい」と問いかけてくる言葉です。
様々な場所で靴やスリッパを脱ぎましたときには、この言葉を思い起こして頂きたいと思います。
皆さんには身近にできる修行として履き物を揃えて、足下を確認致す所から初めて頂きたく願います。
霊源院では、大阪、東京、神奈川など他府県からも沢山の方々が水子供養にお越しくださっています。
お越しの皆さんの世代につきましても、若い方からご年配の皆様迄幅広い年齢層の方々にご縁が頂いております。
ご出身地や年齢を問わず、お越しの皆さんが脱がれた履物を拝見いたしますと、脱ぎ方も人それぞれです。
日々、看脚下
京都の冬は底冷えと云われるほど冷たい季節となります。
水子供養のお越しの方が本堂に移動をしていただく際は、木の廊下を通っていただいております。
長い廊下を歩きますと寒いを通り越して足の底が痛いという感覚になることもございます。
そのため、移動にはスリッパの利用は欠かせません。
水子供養にお越しの方に苦情を申していると誤解を頂きますと困るのですが、ここからは「うるさい住職のお話」としてお聞き頂ければ有難いです。
廊下を行き来されている方々がスリッパを脱がれたときの状況が本当に様々です。
お越しになられた方向のまま揃えて脱がれる方がおられます。
或いは、スリッパがバラバラの方向を向いている場合もございます。
他の利用される人が履きやすいように、脱がれたスリッパの先を帰りの方向に手で揃えられる人もおられます。
脱がれた靴やスリッパをきちんと揃えられる人を拝見いたしますと、きちんとしたお方なのだと想像致します。
禅宗では坐禅のみを修行と定義せず、食事を致す時や歩く時など日々の生活の全てを修行と位置づけています。
特に若い修行僧が修行を致す道場では日々の生活が厳しく律せられています。
私も若いころに僧堂で修行をいたしましたので、皆様が脱がれた靴やスリッパにはどうしても目がいってしまいます。
水子供養にお越しの皆さんに修行の厳しさを求めている訳ではありません。
お参りにお越しの際には、看脚下という言葉を思い出していただければと思います。
他の方々に配慮をした良き行動を善事といいます。
特に境内では、故人さまの追善供養につながる善行を心掛けていただければと思います。
また、ご自宅でも靴やスリッパを揃えることを日々の習慣にしていただければと思います。
合掌