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【住職 徒然記】主人公。

2020.09.10

禅語 (主人公)

禅語に主人公という話があります。

昔の中国、瑞巖寺。日本の東北にも松島瑞巌寺がありますが。

その瑞巌寺の師彦(しげん)和尚は座禅しながらたまに主人公と呼び、それに自分でハイと自分で返事をなされたそうです。

そして、あんた目が覚めてるか、ハイ。

しっかりしているか?ハイと自問自答。

それが禅の書物無門関に出てきます。

道場で修行をなされている修行僧(雲水)にとってのバイブルです。

この話は我々は何時もこの自分の主人公は自分だよというお話かと存じます。

水子供養へおこしの若い皆さん、年配の皆さん、お檀家さん。

が、本当にそうでしょうか?

この私は自分の綿密な判断にて日々を過ごしていると私も含めて思ってらっしゃる方が多いと存じます。

買い物に例えましたら、本当に必要性を感じこれこそと思い定めて買っているでしょうか。

たちまち、昨日私も新聞広告を見て掃除機を購入致しました。

私は結構広告、最近はネットにての購入が多いのですが、その時はこれは絶対買いと思い購入。

でも、そのままに置いたままという商品もあります。

食品も含め無駄にしてしまうことが珍しくありません。

広告、その時の何気ない気分に流されて購入。そして無駄にする。

お恥ずかしいですが珍しくありません。

このように主体性なく、周囲の雰囲気に流され自己の意思とは関係なく動いているのに、自己の意思と錯覚していることは無いでしょうか?

家庭生活、会社の仕事、人間関係。

この私の心の底を見据えた上の有りようでなく、マスコミの情報、ネットの情報、人からの情報を自分の見据えた情報としてすり替えていることは無いでしょうか?

一体自分の本体、(主人公)がいるのか。他からの指示や周囲の刺激に左右されない本来の自分。

主人公、主体性。

周囲や環境に振り回されない自分、それは時々、反省や後悔となりこれで良いのかと考えるのではないでしょうか。

その時に自分へ主人公と呼びかけ、目が覚めてるか、お前のその判断、行動は本当にお前のベストの判断かと問いかけ、よーしと自分で返事を致し前へ進む、或いは立ち止まる、

そんなことを指し示す禅語が主人公だと思えます。

周り、世間に流されそうな時、深呼吸を致し主人公と自分へ呼びかけ、ハイ、俺はここにいるよ、自分の判断で生きるよと返事を致したいものです。

さて、気が付けば今月はもうお彼岸月、日の経つ速さは止めようもありません。

日々が過ぎ去ってもコロナ禍が収まっているわけではありません、意識が薄弱になってもコロナで辛い思いの皆さんは相も変わらづ多いです。油断をせづに日々を過ごし、他者への思いやりを深めたいものです。合掌